なぜだ。
泣けなかった、、、
先日やっと観に行けた【映画】鬼滅の刃 無限列車編。
まったく泣けなかった、、、
煉獄さんのキーホルダーまで身につけている自分がなぜ。
その理油について考えてみた。
<その1>
単純にストーリー分かりすぎていた。
これはコミックで見ているので。
でした。
<その2>
絵が綺麗すぎた。
絵が綺麗すぎて、ストーリーそっちのけになってしまった。
鬼滅のアニメシリーズはなんと言ってもクォリティの高い描写の数々。
特にCGなんかも入れすぎず、使いどころが絶妙。
クライマックスのとこなんかは、ストーリーより朝日見てた(笑)
どこ見てんだかw
<その3>
分析しすぎた。
最終的にこれ。
これは自分としても最近いけないなと思いつつ、なんですが、つい「分析する」クセがついてしまって
いるということ。
あんまり、行き過ぎたくはないのだけれど、どうしてもそういう目線で観てしまう自分がいる。
ダメだな。
これは本当にちょっと危惧していて、自分でも普通に鑑賞できるように戻そうとしています。純粋に作品を観る。という視点はやっぱり大事だし、この作品に魅せられる人たちがどこに共感しているのかを知りたいと思うからです。
これは本当に気をつけなければいけません、、、反省。
大きく言うとこの3つくらいなんですが、細々言うとこんなことも。
・モノローグが多すぎるんじゃないか。
とにかく炭治郎のモノローグが多すぎる。コミックだと気にならないんですが、ちょっと実況解説みたいになってしまっていて。(これは分析目線で見すぎているためですね)
・下弦との戦いでダレた。
・鬼滅はアニメも良いんですが、コミック(紙)の良さもやはりあるなと感じました。
アニメはどう観せるか?という視点があるものの、コミックは自分の好きなペースで読むことができるし、何より僕は、鬼滅のキャラが発する「セリフ」が好き。
コミックはそのシーンを戻ったりして浸れたりするのが良くて、それを考えるとちょっと。
今回改めて、「文字を見る、読む」ことの大事さみたいなものに気づきました。
そんなとこかなぁ。
でも作品はもちろん素晴らしいと思います。
必ずしも泣けるからいい作品とも限らないのは確かですし、そこだけを見るわけではないんですが、不思議と自分は泣けなかったので、ちょっと書いてみました。
映画は人が作品をどんな風に観て、どんな共感を感じて、どこがヒットしているのかを見る上でも「分析」をしつつ観るんですが、あまり行き過ぎると純粋に作品を楽しめなくなるので危険です。気をつけよう、、、
とにもかくにもこの作品の良さはすべてクライマックスにすべて詰まっていますね。
僕なりに印象的なセリフもあります。
それはコロナ禍を本当に強く表していました。(煉獄さん)
そこには共感しかない。
僕は本当にこの「鬼滅の刃」はコロナ禍にバチっとハマったと思っている。
それはキャラクターと現代の価値観がリンクしていると思っています。
大きく価値観が変わってきている今、
自分の「呼吸」に「全集中」しよう。
URAPYON