100点。
100点満点。
一点も1点の曇りもない点数。
みんなが求める点数。
100点満点。
いい響き。
なのだろう。
世の中みんな100点を取ろうとしてる。
自分もそうだ。
何かを作っていてうまくいかない。
相手はどう思うだろうか?
お客さんはどう思うだろうか?
喜んでくれるだろうか?
100点取れるだろうか。
そんなことを考えている人は多いんじゃないだろうか?
僕らはなんでこんな思考になってしまったのだろうか。
それはあれだ、あの習慣だ。
学生時代に慣らされた習慣、テストだ。
間違いなくみんなが100点を目指す。
価値(その時の)で言えば
いかに100点に近いかが価値だった。
そんな100点の呪縛に僕たち、
世の中、日本は包まれているんじゃないだろうか。
みんな100点を目指す。
しかもビジネスなんて前例のない課題があって
お手本がなかったりする。
どんなに本を読んでも
自分の課題に答えてくれるものなんてない。
ヒントくらいはあるかもしれない。
みんな100点を目指す。
だから及び腰になる。
100点に近いだろうか?
と悶々と考える。
いや、悩む。
でもそこに答えはない。
ここでも解を出すならば、
100点を目指す前にまず、
出してみろ
だろう。
どんなことでも出してみることだ。
アウトプットしてみることだ。
そうすれば結果が出る。
え?結果なんてそんなに出せるもんじゃないよ!
そんな声もあるかもしれない。
ここで言う結果とは、成功も失敗も結果だ。
やらなきゃ結果は永遠にでない。
やれば結果は出せる。
みんな結果がすべて。と言う
その結果はほとんどが成功を指す。
指しているようだ、
やれば結果が出る。
成功ならそれでいい。
失敗なら、改善の種を見つけられたわけだ。
100点を目指すから行動できない。
学生時代に点数ではなく、
行動がすべて。
と教えられては来ない。
少なくとも僕はそうだった。
行動がすべてだ。
行動するためには100点なんて
目指さなくたって全然いい。
まずは点数なんて気にしない。
人の目を気にしない。
それが行動の源泉となる。
源泉は徴収されないように。
それを奪うのは100点主義だ。
urapyon