「いいもの」がなぜ売れないか。
それは「いいもの」の正体、
捉え方にあると思っている。
結論から言うと、
いいもの。
と思っているものは
売り手から見ての「いいもの」
であること。
ここを間違ってはいけない。
こだわりの、
がつく商品はこの捉え方に
陥ってしまうケースが非常に多い。
また時代によっても
「いいもの」の定義が変わってくる。
これはスペックだけでモノを判断していると
抜け出せなくなる。
しかも時代が変わるということは、
人々の価値観が変わるということだ。
多様性なんて言われるのも昨今。
考え方は一瞬で変わったりする。
それとスペックだけで考えると
あらゆる人の思考についていけなくなる。
例えば、僕は最近レコードにハマっている。
これは機能(いわゆるスペック)として言うなら
昭和も今もレコードの機能は同じだ。
レコードをかけて音楽を聴く。
という機能は変わらない。
レコードそのもののかけ方が
変わったりはしない。
ただ、昭和のレコード全盛期の楽しみ方と
現在レコードを楽しんでいる自分の楽しみ方は異なる。
この違いだ。
いまなぜレコードなのか?
人はなんでレコードに関心、興味を寄せるのか?
ここが分からないと大きく間違う。
それぞれ「良い」という感覚が違う。
つまり「いいもの」と思っている感覚が違う。
スペックだけで「いいもの」を判断してしまう人は
ここに陥るとなかなか売れない。
人にモノを届けることができない。
もちろん、機能的に言っても
一般的に言って優れるところはあると思う。
しかし、今モノを売ったりすることを考えると
もっと根底にある人の心理だとか、
感覚を探らないといけない。
僕は自分でもそうなのだけど、
消費が単なる消費から、
「意味的消費」に移ってきていると感じている。
もはやそれは哲学とも言えるかもしれない。
「いいもの」とは人によってそれぞれ違うのだ。
その最大公約数を見つけることが、
一般的で言う「マーケティング」だと思う。
誰にとっての「いいもの」か?
それを考えるとヒントがあるかもしれない。
URAPYON