パラリンピック開会式をリアルタイムで観た。
率直な感想はつぶやいた通り、
オリンピック開会式よりも数段良かった。
パラの開会式を観て感じたのは、
不自由というのは、
自由を発見する種ではないかと。
不自由だからこそ
自由に気づける。
例えば
何気ない一日を過ごしたとしよう。
そこには何もないんだ。
いつもと同じという事は
何も変化がない。
不自由があるからこそ
自分を見つめ直したり、
何かに気付けたり、
感謝できたりする。
だから漫然と毎日を過ごしてはいけない。
一日、一日、何かを変化させていかなくてはいけない。
ルーチンは死んだ。
すべてのルーチンは分断された。
一見、ルーチンであっても違うものもある。
側から見て分からないこともある。
自分が分かってさえいれば
それでいい。
でも分からずに
毎日同じことをしていても
仕方がない。
逆に同じことをしすぎて
気づくことがあるかもしれないが、
そんなことは稀だと思う。
お坊さんレベルだったら違うと思う。
凡人には難しい。
だから何か毎日の行動を変えてみる。
昨日と同じというのは進化がない。
ということだ。
どんどん変化していこう。
好きなものだけじゃなくて
嫌いなものにも関心を持とう。
不自由は創造のソースだ。
感謝のソースだ。
鈍感になってはいけない。
感覚を研ぎ澄ませ!
なんとなく過ごしてはいけない。
空を見よう。
同じ空なんて存在しない。
毎日が変化の連続。
昨日より違う今日を目指そう。
違うことはいいことだ。
明日通ったことない道を歩いてみよう。
そこに新しい道があるはずだ。
URAPYON