幸い価値観の合う人たちと仕事をさせてもらっている。
価値観が合うというのは気持ちの良いもので、
いわゆるやりがいもある。
こんなに楽しいことはないだろう。
しかし、世の中、
当然価値観の合う人ばかりではない。
いや、むしろその方が多いだろう。
大小あれど、たまに大きく価値観の外れる人に
出くわすことがある。
それまでは全くそんなそぶりを見せずにいたのに、いきなり変貌する場合もあるだろう。
価値観の合う人というのは、
言うなれば自分への肯定だ。
自分の進んできた道を
肯定してくれているようなもの。
さっきも書いたが気持ちの良い道だ。
しかし価値観の合わない人はそうではない。
その逆で否定派だ。
人間誰しも、自分を否定する人を好きになるはずがない。
いちいち聞いたことはないが、
恐らく全員そうだろう。
しかしこうも考えてみた。
もしかしたら、価値観の合わない人こそ
最も重要な存在なのではないか?と
先日とある機会のこと。
久しぶりにまったく噛み合わなかった。
というよりは理解はされているが、
全く合意が得られないという状況だった。
最初は、「だから違うんだよなぁ」と心の中では叫んでいた。
しかし、こうも思った。
こういう人は珍しい。
こういう人の意見こそ耳を傾けるべきでは!と
つまり同じ価値観の沼に入っていると
自分をなかなか客観的に見ることが難しくなる。
ただあまりにも否定され続けても困るが、
かなり価値観の乖離した人に出くわすことがある。
それも激烈に感じることがある。
あなたはないだろうか?
今まで、嫌だな、、、と
思っていた人が決定打のひとことを発してきた。
みたいなこと。
たぶん、あると思う。
でも、でもだ。
そういう時は大きな転機なのだと思う。
そういう時こそチャンスなのだ。
その時は当然、嫌なことだから、
良くは思わない。
けれど、そういう状況というのは
自分にとって大きな転機がある場合が多い。
人生というのは誰もが主役で、
まわりは脇役だ。
だから心ない事を言われたりした場合、
あなたに大きな転機を示してくれている
と捉えることはできないだろうか?
これは激烈なほどいい。
それだけ大きな転機が訪れているということだ。
差し障りのない事ではダメだ。
「あーーー、こいつダメだ。無理だ」
って思う時ないだろうか?
そんな時はおめでとう!
あなたの大きな転機だ。
脇役が教えてくれているのだ。
ここでは名脇役とでもしようか(笑)
迫真の演技かもしれない。
あなたにとっての演技なのだ。
そう考えるとちょっと思い直したりできないだろうか。
逆にあとから考えると感謝もできるのではないだろうか?
そんなことを最近思った。
自分を否定されるのは嫌だけど、
価値観の違和感、否定の裏で
そこには何かのサイン、転機が隠れている。
僕はそう思っている。
出くわすのは、心ない人ほどいい(笑)
あなたはどう思うだろうか?
人生の主役はいつもあなたなのだ。
URAPYON