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「全線で運転を見合わせております」
最寄り駅につくなり、
そのアナウンスを聞く前に
改札近くの人だかりで
何が起きているのかを理解できた。
また人身事故だ。
でも不思議に思う。
昨今の世界情勢を見てみれば、
注目の的ロシアとウクライナだ。
まさに現地では
命がけの人たちが何万人といる。
そんな中、日本では自ら命を絶つ人がいる。
でも死ぬ気ならなんでもできる!
と誰もが言うがそんなに簡単なことだったら、
こんなことにはならないと思う。
恐れずに言うが(確認したことはない)
誰だって一度くらい「死にたい」と思ったことはあるはずだ。
僕はある。
これってどうなんだろ?
僕はあるよ。
でも実際に実行に起こすかどうかの
問題だけでしかない。
あの庵野監督だったこう言っている。
「痛そうだから、やめた」
まさにその通り。
痛そうである。
だから死なない。
死ぬなんてできない。
というのも、
死んでたまるか。
という感じだ。
誰かが言った。
「今日という日は、昨日亡くなった人が生きれなかった一日だ。」
これも、その通りだ。
そんな中死ねるか?
答えは死ねないだろう。
僕は人生どこかのタイミングで
必ず「死にたい」という時はあると思う。
でもどうだろう。
生きれなかった人を目の前にしても
それが言えるか?
普通は言えない。
言えるはずもない。
それに
すべての手を尽くしてからでないと
そんな実行できない。
そもそも「死にたい」と思うのは、
生きていればこそだ。
そう、生きていなければ、
「死にたい」とも思えないのである。
と書いてみても、
人それぞれ悩みや、人生の問題は違う。
「そんなの気休めにしかない」と思う人もいるだろう。
ただ、こんな時代だからこそ、
最後までやれることをやることも人生だ。
反論もあるかもしれない。
でもこれが僕の今の答えだ。
迷えることは、自由ということだ。
自由ということはどんな道でも
作っていける。
自分は無力だ。
と思ったことも何度もある。
もうダメだ。
と思ったこともある。
だけど何かアクションできることは
絶対にあるはずだ。
なんでもいいから小さく始める。
始められる思考は大事だ。
最初から多くを望むな。
日本という国に生まれた以上、
驚くほどサポートは多い。
できることから始めよう。
深呼吸ひとつだって、
できることのひとつだ。
URAPYON